にっき
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10月31日(火) ヴァンス アンティーブ
ヴァンスにあるロザリオ礼拝堂は、晩年のマティスがデザインその他もろもろを引き受けた南仏の小さな礼拝堂です。以前からずっと行きたい行きたいと思っておりまして、ようやくその願いが叶ったわけです。ああありがたいありがたい。朝一番で長距離バスに乗り込み山の上の小さな村のヴァンスへ。彼がこのチャペルのためにデザインしたステンドグラスは青と黄色を基調としたもので、チャペルの南側の壁の殆どが彼のステンドグラスがはめ込まれております。あいにくの雨模様でございましたが、礼拝堂の中はステンドグラスからほのかに明かりが入り込み、室内全体を青と黄色の光で包み込んでくれます。こんなに美しい空間、いままで見たことがないっす。本当に神様が降りてきたような気がします。キリスト教のことなぞ何も分からない私でもこんなに神秘的な気分になれるのだから、入信している方の感動はさらに倍にしてドンな感じでしょう。そのまま光の中に溶けていってしまいたいくらいです。うつくしすぎる。
午後はバスで途中まで戻って電車でアンティーブへ。アンティーブは城壁に囲まれた港町、きらびやかなニースとは対称的な素朴な町です。てくてく歩いてピカソ美術館へ、アンティーブのピカソ美術館(略してピカ美)は城であります。地中海の赤茶けた城の中に沢山の作品が飾られておりまして、パリやバルセロナとはまたちょっと違った雰囲気。改装中で半分ほど閉まっていましたが、絵画も彫刻も素晴らしいものばかり。じっくりと堪能しました。いい人ばかりで素敵な町でした。
ところで今日はハロウィン。語学学校では「ハロウィンはメディア主体で3年前にアメリカからきたもの。フランスでは全くはやってないです」って教えて貰ったんだけどなあ。町中カボチャだらけ。店のショウウィンドウはどこもかしこもコウモリと蜘蛛の巣で溢れています。食料品店のショウウィンドウにも蜘蛛がいっぱいいて食欲失せ失せ。子供達は仮装して走り回っているし、怖い化粧で歩き回っている大人は沢山いるし、みんなアメリカ好きなんだなあ。



10月30日(月) ニース
5時起きでシャルル・ド・ゴール空港に。そう、今日からバカンス!寒いパリはおさらば。今日からニース!南仏です。朝一番の飛行機に乗ること約2時間、たった2時間で夢のリゾート地ニースにたどり着けるのです。わーい。わーい。空港から市街地に向かうバスは海沿いを走ります。美しい浜辺の後ろは沢山のホテル、そしてその後ろは緑いっぱいの山地、なんとなく伊東や熱海を高級化したような感じです。浜辺は砂浜ではなく白い砂利に覆われており、そこが高級感を醸し出しているようです。そういえば地元はニースと姉妹都市だった気がするなあ。なんとなく地元にも似ているかもしれないなあ。ちょっと日本を思い出す。
ホテルに荷物を預け早速海岸を散策。南仏というから一年中ポカポカ陽気かと思いきやほんのり肌寒い。でもでも頬に掛かる潮風は気持ちよいので許す。こっちに来て初めて見る海が地中海とはねえ、海の色が青くて青くて吸い込まれそうっす。秋の海は寂しげでよいですねえ、刻一刻と表情を変えるし。印象派の人々が描きたがる訳が分かるような気がします。
海見物を終えて山の上にあるマティス美術館へ。こじんまりしていて可愛らしい建物の中には、マティスの作品やマティスゆかりの人々の作品が多数展示されております。また明日行く予定のヴァンスのロザリオ礼拝堂のためのステンドグラスの下絵や、司祭さんの着る服のデザイン画などが展示されており、来たいに胸が膨らみます。南仏で見るマティスの色使いって本当に素晴らしい。太陽の色や空の色、海の色や建物の色などなどの南仏の素晴らしい色彩のエッセンスを凝縮して昇華させてさらに才能を加えて生み出した数々の絵画。たまらんねえ、たまらん。
坂を下りて次はシャガール美術館へ。マティスの青の使い方はとても特徴的でしたが、彼の青の使い方もまた独特。マティスのラテンな青の使い方とは違い、彼の青の使い方は幻想的でふわふわした感じ。シャガールはきっと根暗な人だったんだろうな。一見したところ現実から遠く離れているような絵で、しかしながら的確に社会を捉えてさりげなくリアル描写全開なところが、性格も悪そうな感じがしてほほえましいです。ステンドグラスの青がなかなかキレイ。たまらんのう。
そんでもって坂を下って市立近現代美術館へ。ニースの生んだ柔道バカ、じゃなかった大芸術家のイヴ・クライン先生の作品がこれでもかこれでもか、と展示されています。先月には大開個展やったらしい、見ることが出来なくてちょっとくやしいなあ。15畳くらいのスペースに彼の編み出した深く深く濃い濃い青(インターナショナル・クライン・ブルー)の粉が敷き詰められているだけのコーナーがあり、思わず息を飲んでしまいました。彼の青色を見ると息が止まってしまいそうです。やっぱりニースの青い海を見て育つと、こんな美しい色を作り出すことができるのでしょうか?この青い粉で竜安寺の石庭作ってほしいです。ああ美しい。
ってなわけで旅行一日目(裏テーマ「青」)終了。やっぱり朝一番で乗り込むと時間が有効に使えますねえ。寝台使わなかったので体も軽いし。楽でよいですねえ。



10月29日(日)
長かったホテル暮らしも何とか終了。長期滞在のサービスでしょうか、今日に限りホテルの主人が朝食のサービスをしてくださいました。朝にカフェオレとクロワッサン食べるなんていかにもパリってな感じですね。久しぶりにフランスに浸った気がします。
明日は早起きして7時20分発というびっくりするような早い便でニースへと旅立ちます。そんでもって今日の宿泊先の友人とは夜遅くのランデブーなため、一ヶ月で大幅に増えた荷物をマダムのお宅(未来の我が家)に預け、ひたすら暇を潰すことに。シャンゼリゼのヴァージンでは、今年83歳になられるアンリ・サルヴァドール御大の新譜が大々的に売られております。AIRと同じSOURCEレーベルと新規に契約したそうな。WARP兼SOURCEのジミ・テナーも新譜を出してました。SOURCEレーベルって節操無いなあ(もちろん誉め言葉)。
午後はパリ市立近代美術館で「Voila!」という展覧会。Voilaとはフランス語で「そこに」とか「ほら」とかの意味。この展覧会では目の前にある身近な事象を捕らえて作ってみました、ってな感じの作品が沢山。中でも Chiristian Bolltanskiという人の「Les adonnes du telephone」、壁一面に備え付けられた本棚に世界中の電話帳が詰め込まれていて見学者は自由にその電話帳を見ることができる、という作品なんすが非常にドキドキしてしまいました。だって自分の家の電話番号が載っている電話帳があるんですもの。飲み物を買いに行くついでに家に電話しようという気分になりますね。
Bertrand Lavier の「Presente La peinture des Martin 1900-2000」もオモロ。広いスペースに沢山の「マルタンさん」の作品が脈絡なく並べられております。ビッグネームなマルタンさんからしょうもないマルタンさんまで、ありとあらゆるマルタンさんが100年の月日を経て集結しているわけです。アホな発想をそのまんま広いスペース使って実現しちゃうんだからおもしろいなあ。日本だったら片岡さんとか石井さんとかでやると面白そうだね。
またPierre Josephの「Mon plan du plan du metro parisien」という作品も変で良かった。思いっきり意訳すると「僕の頭の中のパリ地下鉄路線図」とでも言うのでしょうか。14あるパリの地下鉄路線の中でも、メジャーな駅とその駅を繋ぐ路線しかない路線図なんです。東京でいうと、渋谷があって、霞ヶ関があって、永田町があって、そこを結ぶ路線しかない路線図(しかしそれだけあれば十分な図)って言えばいいのかな?誰もがぼんやりと頭の中で思い浮かべているイメージが明確に目の前に現れている、ということがこんなにも面白いとは。
んで、夕方はブラッド・メルドーのコンサート。なんだか安かったので。この頃私ってば安いとかばっかりですね。すいません、ケチなんです。ブラッド・メルドーはピアニストです、ジャズピアニストといえば鍵盤を叩きつけ、ダーイナミックな表現な人を思い浮かべがちですが、彼のピアノは優しくソフトタッチ、思わずウィンダム・ヒルか?と思ってしまうような癒し系ジャズ。しかしながらも優しさの中に時折見せる情熱深いタッチがゾクゾクします。そういえば私は昔ジャズ研だったんだよなあ。コンサートが終わってから思い出しました。
んで、夜遅く友人宅に。早起きして明日からニースです。



10月28日(土)
生まれて初めて「デジモン」と「ポケモン」を見ました。なんとまあ節操がないことに、同じ局で10時30分、11時とぶっ続けで放送するのです。矢井田瞳のPVの後に椎名林檎のPVが流れるようなもんでしょうか。子供達はいっぺんに見ることが出来て楽しいでしょうねえ。
「VISIONS DU FUTUR」をグラン・パレ(Mediterraneeとは別会場)に見に行く。様々な未来を、様々な時代の様々な人々が考え、描き残しています。そんないろいろな人々の「未来」を一同に集めたなかなか面白い展覧会。エジプトの人々は現世が終わった後に「死後の世界」が有ると考え、キリスト教を信じる人々は近い将来「最後の審判」が有ると考え、20世紀初頭の人は2000年には「空中自動車」ができると考えます。未来を考えるときの人の気分は恐怖だったり、希望だったりといろいろあるのでしょうが、見たことないものを想像だけで形に表すということ、そんな難しいことを皆どうしてやるの?どうして頭の中の未来を具現化しようとするの?なんて愚問でしたね。人間だもの(みつを)。やっぱり聖書を信じている人の「未来」が一番固まっちゃっててつまらないなあ、と思いました。結末決まってるから、細部膨らませるしかないからねえ。
帰りに「BIMBO TOWER」というタコシェと宇宙雑貨とWAVEを足して3で割ったようなお店に寄ってみました。元々は日本人の方々が作ったお店だそうで、そのためか日本のチープな雑貨がいっぱい、三上寛や友川かずきのCDがいっぱい、店のBGMは変なノイズでがんがん。ってな感じの不思議なお店でありまして、なんだか住みたくなってくる場所であります。日本では大コケした「アニメ版ジャンヌbyありなっち」の着せ替え人形がなんとまあ50フランで売られていてびっくり。在庫をかかえた日本の業者はみんなフランスに売りに行けばよいのに。



10月27日(金)
今日で学校は一段落、明日から計9日間のバカンスに入ります。クラスに慣れてきたのでみんなに会えなくなるのはちょっぴりさみしい。今のクラスは長期コース(3ヶ月1ターム)でありまして、本人の希望以外のクラスの入れ替えがないので、長い時間かけていろいろな国の人の性格を把握できてなかなか楽しいです。約一ヶ月クラスのみんなと過ごしてきましたが、南米の生徒たちはやっぱりラテンで、中国の生徒たちはやっぱり中華思想で、日本の生徒達はやっぱりおとなしい。私も典型的な日本人で、早くそんな状況を脱したいもんなんですが、なかなか難しいものですね。頭の中と口の神経はどうやったら結びつくんでしょうかねえ。問題です。
放課後に中古レコ屋に寄ったらSUPERCHUNKの「mrg059」とかいうのが10フランで売られていて即ゲット。3曲しか入ってませんでしたが、一曲50円と考えたら安いもんです。3曲ともなかなか素敵な曲でご機嫌。



10月26日(木)
昨日のネットカフェ、URLの欄に直接入力すると弾かれてしまいますが、ちゃんと「開く(OUVRIR)」指示をすれば、きちんと指定した場所に飛べることが判明。せっかちは損ですね。これでいろいろなサイトに飛ぶことが出来るようになりました。周りは日本語の読めない人だらけ。後ろからのぞき込まれて頬を赤らめる必要はそんなになくなりました。引っ越す日まで、毎日ここでニュース読もうっと。

来週一週間はカトリック版お盆ということで全国各地で墓参り祭りが開かれます、そのため学校も一週間お休み。いわゆるバカンスであります。わーいわーい。そんなバカンスを利用してちょこっと旅行をする事にしました。こんな寒いパリにずっといたら凍傷で足の指がなくなってしまいます。とにかくとにかく暖かいところへ・・・ ということでニースにいくことにしました。若さに任せて夜行列車に乗ろうかと思ったのですが、既に同じ事を考えている人々が大勢いるらしく、希望していた列車はどれも満杯。寝台車なし(つまり普通の椅子席のみ)の列車もあるそうですが、日本で大垣行きの夜行列車(当時はムーンライトながら号などなかった)に乗ったときの、あの早朝の体の痛み・・・以上のものを味わうのかと思うとちょっとご遠慮したくなってしまいます。
しかし朗報。どうやら飛行機にもヤング割引というものがあるそうで、それを利用するとパリ−ニースの往復がなんと660フランというお値段。寝台車が片道500フラン強というお値段でしたから、正にこれは破格!日本では妙齢と言われる私ですがフランスではまだまだヤング。そう、この国がヤングと認めてくれるなら認められた分だけ権利を行使しなくては。迷わず飛行機の切符を買うことにしました。これならパリから2時間で行けるし(TGVで行くと6時間かかる)、その分ニースに長い時間いることができるし、言うことなしでありますね。宿もアパルトマン形式のタイプのを選んでみました。毎日自炊で過ごせば、ちょっとしたリゾート地でもなかなかリーズナブルなお値段で行動できるというものであります。大家さんのマダムの滞在が一週間延びて、ちょっぴり凹んでいたものですが、安く旅行が出来ることになって凹みは瞬時に解消、むしろ出っ張った感じであります。



10月25日(水)
凱旋門の近くに30分無料でインターネットが出来ると場所があるとの噂。オペラ座の近くの日本語入力できるネットカフェは、1分1フランで1時間36フラン。メールを打たないで読むだけという、絵に描いたようなネットサーファーの私にはちょっとお高い値段なんですよねえ、ということで早速行ってみました。L'ESPACE VIVANDIという巨大マルチメディアショップには無料サイバースペースがついており、希望者は会員登録をすることによって一日30分無料でネットが出来るという仕組みになっております。なんとまあ、便利な世の中になったものです。しかし便利すぎて大盛況、会員になるのに1時間も並んでしもうたよ。しかし無料の為ならしょうがありませんよね。
さんざん並んで通されたPCは日本語のページは読むことができますが、もちろん日本語の入力は出来ません。これは承知していたから全然構わないのですが、URLを直接指定することが出来ないのがイタイ。HP上にリンク貼ったページにしか飛ぶことができないのです。私の必ず見るページというのはどこにもリンクしてないページばかり(勿論健全なサイトしか見ません)。外のパソコンでそれらのページを見るときはいつも直接URLぶち込んで飛んでいたのですが・・ うーん、困った。ど忘れ用の自分専用URL集も暇なときにスペース借りて作っておいたのですが、それらもいつもコピペして使っていたものですしねえ。日本語入力できないのでファイル名やユーザー名で検索かけてみたのですが、やっぱり難しい。しょうがないので今回は極めて健全に誰もが知っているサイトを、日経ネットナビ読者のような気分になってサーフィンしてみました。うーん、とっても爽やか。30分なんてあっという間だったヨ。・・・しかし爽やかですが不満が残ります。もっとドロドロしたものが読みたいよう。今一番気になっている出家とか在家とかコンピュータ押収とかの記事が読みたいよう。まあ無料ということなので日本の基本的なニュースをYahoo!などから辿って読むのに適している場所ですね、そのほかのニュースはお金を払って日本語が打ち込めるネットカフェで読もうね、と自分を慰めてみるもののやっぱり不満がのこります。ルーシーさんを撮ったビデオテープの種類がベーカムなのかD2なのかD3なのか異国の貧乏人は知ることができないのです。まあどのテープであっても複数の人物が関与しないと撮影できませんよね。そんなこと知ってても何の役にもたちませんしね。無駄な好奇心のせいでいろいろ苦労するのはあほらしいよね。はぁ、しょぼん。



10月24日(火)
昨日と同じ労働事務局へ昨日と同じ書類を持って昨日と同じ時間に訪問。何もかも昨日と同じなのに、なぜか労働事務局のドアには鍵がかかっていた。。。何故に??まだ11時だというのに。鍵の掛かったガラスのドアの向こうには昨日と同じく学生さんがいっぱい。いくら受付の人が仕事が出来ない人だからといっても1時間前にドア閉めるのは反則だと思うのですがねえ、もしかしてフランスという国はこういうことが日常茶飯事なのかしら?私の後にも何人かの外国人留学生がやってきましたが、みんな「こんなのおかしい、変だ」と怒っております。そうかそうか私の感覚で正しかったのか。あまりにもいい加減な国のいい加減な対応にどっぷり悩まされている今日この頃なので、周りの人の反応を見るまで自分がどのように反応してよいのか分からなくなってしまう症状に悩まされております。日本に浸かり切っていたからフランスにイライラするのか、どんな国の人でもフランスの対応にイライラするのか、そういう距離感がこの頃つかめんのだよなあ。そうだそうだ今は怒ってもいいんだ。ようし怒るぞ、ぷんぷんぷんぷん。ただ怒っているだけでは始まらないので、とりあえず鍵を無理矢理こじ開けようとしてみたり、別の会社の入り口から非常口を使って事務局に不法侵入を試みてみたり、職員の通用口から入ろうとして追い返されてしまったりと、怒りながらも有りとあらゆる手段を試みてみましたが、結果は思わしくありません。
とにかく腹が立ちます。だってまだ11時15分なんだもん。この国では朝一番に施設に来ることが出来る人しか労働の権利を与えられないということなんでしょうか?昨日は良くて今日はダメっていうのはおかしいんじゃないでしょうか?そんなんだからいつまでたっても失業率が下がらないんじゃないんでしょうか?こういう時ってフランス語でどうやって抗議したらよいんでしょうか? と、ぷんすか怒っていたところ、鍵の掛かったドアの向こうで並んでいる留学生は残り二人となり、そしてまあ、どこからともなく現れた係員が「しょうがないなあ、時間が余ったから入れてあげるよ」ってな感じで鍵を開けてくださいました。よく考えると「当たり前じゃろ、オラァ!」と言いたくなるような感じでしたが、中に入れたので良しとしますか。
そして、昨日と同じく「こんなビザ知らないっちゅうーねん」との応対、本当に腹が立ちます。この国はどうして新しい制度ができたら担当部局に周知徹底しないんじゃあ。大統領とおぶっちゃんの結んだ条約にケチつけるなっちゅうの。シラクは京都に愛人おるから60回も日本来とるんじゃあ、大統領の大切な国の客人に無礼な態度取るんじゃない〜 とスムーズに言えればいいのですがそうもいかず。しかし怒るとフランス語が普通の時よりスムーズに出るということが分かりましたので良しとしましょう。
そんでもって、学校の帰り道に地下鉄でスリの少女ギャングに狙われ、ちょっと刃向かったら逆ギレされて殴る蹴るの暴行は受けるし、ネットカフェのPCの壁紙を渡辺篤史に変えたのをみつかってこっぴどく叱れられちゃうし、久々まるっきりだめな一日。まあこんな日もあるでしょう。



10月23日(月)
金曜日に引き続き労働なんとか署(正式名称 Service de Main d'OEuvre Etrangere)に書類の申請。今度は住所も名前も分かるので大丈夫。パスポートと契約書を持って意気揚々と乗り込みます。ここは元々は外国人留学生専用の労働事務局でありまして、多くの留学生が「書類が足りない」と難癖をつけられて窓口でケンカになってます。ワーキングホリデービザのでの労働も今年からここで受け付けることになったそうな。というか、フランスはわざわざ専用の窓口を作るなんて面倒なことしたくなかったから、似た感じの仕事をしているこの事務局に仕事を押しつけたのでしょう、そうに違いない。だって事務局の人全然このビザのこと知らないんだもん。30分近く並んで「知らないっちゅうねん、そんなビザ」と言われたものでいろいろ一悶着してしまいましたよ。
んまあ、いろいろ揉めて分かったことは
 
ワーキングホリデービザの人が必要な書類

パスポートのコピー
WHビザのページのコピー
会社との契約書
自宅の住所を書いた封筒&切手
ということ。なんだよめちゃめちゃ簡単じゃない。パスポートも契約書も手元にあります。只今時刻は11時30分。この事務局は11時55分までの営業なので、頑張って走り回ればなんとか今日中に申請できそう。とりあえずタバコ屋さんに走って切手と封筒ゲット。この時11時33分、余裕。さてコピー・・・ なんですが、ここがフランスだということを忘れていました、コンビニないんだよねえ。泣きながらいろいろ走り回って文房具屋さんにコピー機があるのを発見。無事にコピーを済ませることができました。しかしコピー1枚1フラン。ものすごく高いっす。そんでもって時刻は11時45分、全速力で走りましたよ、そりゃあもう。そして事務局に到着したのは11時50分、余裕!いえい!
と、思ったのも束の間、余裕で間に合ったはずなのに入り口のドアは何故か堅く閉ざされておりました。ドア越しには若者達がまだ沢山ならんでいます。人数が多いから早めに閉めてしまったようです。なんか走って損した。また明日も来なくてはなりません。


10月22日(日)
手洗いに疲れてきたので久々にコインランドリーでお洗濯。しかし基本的にして最大の大失敗。小銭をケチって一つの洗濯機に全ての洗濯物を詰め込んでしまったのです、自分がジーンズばかり履いていることを忘れて(倒置法)。案の定、下着は全て真っ青、白いブラウスはほのかなブルー、弟様から授けていただいた大事な「笑っていいともTシャツ(いいとものロゴがプリントされてるだけなんだが)」も青みがかって、いつ電波少年のゲストに呼ばれても大丈夫なくらいに青いアイテム勢揃い。自分のアホが原因なのでしょうがないけど、しかしこの「10代後半の腐った大人達に対する憎しみ」みたいな青いモヤモヤした憤りはどこに持っていけばよいのでしょうねえ。青いパパイヤでも食べれば治るのでしょうか?自分のずぼらがなさけない。



10月21日(土)
午前中は手続き関連。まずマダムと一緒に郵便局に行き「procuration(委任状)」の提出。こっちでは書留などの重要な郵便物は局留めになり、郵便局から知らせを受けた本人が身分証明書を携行して郵便物を取りに行く、というシステムになっているため、マダムが郵便を取りに行けない状態が長く続く場合にはあらかじめ「郵便物受け取りの代理人を立てた」という書類を郵便局に提出しておく必要があります。保険や年金の書類は殆どが書留なんだそうな、フランスってこういうところは気が利きすぎるような気がしますぜ。ただ書類を提出するだけだったのですが、土曜の郵便局の混雑っぷりは日本の比ではありませんよ。この国の要領の悪さにはイライラさせられっぱなしです。
そんでもって次はCATVの申し込み。私の契約するCATVは只今大キャンペーン中であり10月末日までに申し込みを済ませると、機械のレンタル代が無料で毎月の支払いが割引(300フランが299フランに!つまりあまり変わらない)となるそうな。生まれて初めて支払いに小切手を使ってみました。分厚い小切手帳に値段を数字と綴りと両方で書き込みサインをするだけ。これを相手に渡せば作ったばかりの私の口座からお金が引き落とされるという訳なのです。なんだか簡単なんだか複雑なんだか分かりませんが、不思議な感じであります。工事は11月3日とのこと、ちょうどマダムの帰国の日と重なりまして(マダムがのんびりしているうちに10月の日本行きのチケットは売り切れてしまった)いい具合。つなぎ放題楽しみ楽しみ。
午後はグラン・パレへ「Mediterranee.De Courbet a Matisse 1850-1925」という展覧会を見に行く。その名の通りクールベからマティスまでの画家による地中海の絵の展覧会。ピカソやデュフィなどの様々な画家がニースやアンティーブなど様々な場所で海の絵を描いています。様々な作家の様々な作品が出品されているというのに、どの作家の地中海も穏やかで乾いていて澄んだ青空with地中海。どんな大作家であっても地中海を前にしては「ヒネリナサーイ」という芸の神様の関西弁の囁き声は耳に入らないようですね。一度行ってみたいものです。ただ、ムンクの描いた地中海だけはなんだか暗くてどんよりしてました、地中海なのにフィヨルドってた、性格なんでしょうか。
夕方はSALLE PLEYELという劇場にイル・ド・フランス国立オーケストラのコンサート。なんだか相場がよく分かりませんが一階の後ろの比較的いい感じの席が50フランでした。安くて本当にありがたい。ブラームスのバイオリンとチェロのコンチェルトやバルトークのコンチェルトなどをジャック・メルシエの指揮で。音響のいい席で聴くブラームス(しかもオケ)っていいっすねえ。思わず背筋を伸ばしたくなってしまう高貴さがあります。んでもってやっぱバルトークってかっこいいや。らっぱがばんばん響いて太鼓がどんどん鳴るのでうるさいのが好きな私にはたまりません。微妙にオリエンタル入ってるところもツボ。なかなか素敵な演奏会でした。なにより値段が一番素敵。


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