にっき
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11月10日(金)
日本について質問されることはよくあることだと思っていましたが、学校で先生に「合気道の『合気』とは一体どういう意味なんだ?」と訊ねられるとは思いませんでした、そんな質問予想外でありますよ。「気を合わせる、すなわち相手の動きを読む」なんて適当に答えてしまいました、間違っていたらどうしよう。まあいいや、間違っていたところでスティーブン・セガールの評判が落ちるわけではないのだ。そう、フランスは格闘技が盛んな国。柔道、空手、合気道、テコンドーなどの体全体を使う格闘技は、子供の健康を気遣う親たちに非常に人気があります。フランスの小学生男子の約半数が何らかの格闘技を習っているとか、剣道なども人気があるそうですよ。日本の小学生で柔道やってる子って少ないものねえ、もしかしたらフランスの子供達の柔道人口の方が多いんじゃないかしら。だったらドゥイエ級の選手がこれからどんどん出てくるのではないかしら。もうすぐ日本の柔道は斜陽状態になってしまうのでしょうねえ。しみじみ。
んでもって、そんな話題を授業中にしていたら、ブラジルの子が「柔道や空手もすごいが、世界で一番強い格闘技は柔術だ!」と頑固に主張してきました。おお、やはりブラジル人やねえ。しかしびっくりしたことに私と彼以外に柔術を知っている人がクラスに一人もいないのです。これには参りました。まあ、他の国の人はしょうがないのですが、私以外の3人の日本人女子の誰一人として柔術の「じ」の字も、グレイシー一族の血の掟も知らないのです。なんだよー面白いのに〜〜〜 一生懸命コンデ・コマを思い出して私の知っている限りのボキャブラリーを駆使して柔術について説明しましたが、みなさんイマイチぴんときていないようです。ブラジル人も「グレイシー一族はまだ一度も負けていないんだぜ」とか間違ったこと言うしなあ。でもいろいろ訂正しようものなら、私が格闘技好きと思われてしまい、エレガンスなパリジェンヌへの道が一歩遠のいてしまうのでそのまま流しておきました。歯痒かったけどねえ。 パリジェンヌへの道は辛く険しいみちのりでありますなあ。



11月9日(木)
HPつくる仕事を今日もやります。いろいろいじくって、データを私のPCにぶちこんでみました。これで自宅からでも更新できるってなもんです。やりましたね、やりましたよ、SOHO in Franceってなやつですかねえ。自宅でできるということはその分他のことに時間が使えるというわけで、つまり他の仕事もできるという訳なんですなあ。ようし、頑張って他の仕事探そうっと。
仕事と言えば・・・ 私の氷河期完全無職時代に突如バイトで入ることを思い立ち、履歴書を書いてポストの前まで持っていってさんざん迷って迷って結局投函するのをやめてしまった会社がノリにのっているらしく、今度フランス語版のページまでできることになったそうな、景気のいいこったね。FAQもなかなかいい味が出ています。フランス語初心者はプリントアウトして直訳すると力がつくかもしれませんね。アスキーのアの字も見あたらないところが古い読者の涙を誘いますよ。しばらく読んでいないのでよく分かりませんがローリングさんはファミ通版川崎和哉みたいになるのでしょうか?(よく考えたら編集者のキャラが立ちすぎているのってロキオンみたいで気持ち悪いよな) それにしてもまんがやゲームや浮世絵など、海外でブームになるものはいつも貧乏人のささやかな娯楽ばかり。高尚なものが(具体的には思い浮かばないけどさ)流行ればいいと思っているわけではなのですがねえ。不思議で不思議でしょうがありません。



11月8日(水)
毎週水曜日と土曜日の夜、日本語を学ぶフランス人とフランス語を学ぶ日本人がどこからともなく集まり、そしてお互いに会話の練習を仕合う、という日仏交流カフェがあるそうな。日本にいたときからその存在は知っていたのですが、このあいだのオタク君のような日本というよりもマンガが好きという人たちばっかりだったらいやだなあ、と思って敬遠していたのです。が、よく考えてみると私の得意分野ってマンガだったりするんですよなあ。同族嫌悪なんですよなあ、つうことで勇気を振り絞っていってみることにしました。ほんとにオタクだらけだったらどうしよう、ドキドキ。
シャトレーの駅すぐ近くのカフェに7時40分頃到着。ギャルソンに案内されてカフェの奥まで入ると、そこにはフランス人女性二人と日本人一人。お話を伺うとみなさんも初めて来た、とのこと。普段来る人たちはもっと遅い時間に来るのかな???とりあえず彼女たちと一生懸命お話、しかしフランスの日本好きの方々揃って日本語が上手ですねえ、なので自然に日本語で話すようになってしまいますよ、意味がないねえ。
その後少しずつメンバーが増え、九時過ぎになってようやく大盛況。みなさん夕飯召し上がってからこの会にいらっしゃるみたいです。宵っ張りな会なんだねえ。フランスの方々は男女半々くらいでしょうか、年齢層は様々。驚いたことに結構沢山のパリジェンヌが参加していらっしゃいます、しかもみんなカワイイ。こりゃ頑張って話さなくっちゃ、ってな気分になりますよ。
日本人は若い方が大勢。モードな学校に通っている方や、こっちの大学にはいってバリバリ勉強されてる方などいろいろな方が集っています。日本人と会話すると日本語で日本のことばかりになってしまいますが、それでも様々な人がいて様々な考え方に触れることができてなかなか刺激的。じぶんのぬるま湯人生についてしみじみ考えてしまったりします。
会がお開きになったのはカフェの閉店時間の深夜12時。あっという間に時間が経ってしまって全然気づきませんでした。久々に沢山喋ったのでアゴが疲れてしまいました。かわゆいパリジェンヌとメトロの駅が同じだったので一緒に帰宅。彼女は国際交流委員会というものに所属していて、ついこの間島根に2年ほど暮らしていたそう。そのため日本の習慣にどっぷり浸かってしまい(お風呂や食べ物など)、只今フランス式の生活に戻す真っ最中だそうな。「日本の生活習慣をそのまま持ち込むとパリでやっていくのに非常に困難」とのこと。そうだよねえ。そもそもお風呂に浸かる習慣がない国ですものねえ。ゴミの分別をしない国ですものねえ。彼女が今読んでいる本は瀬戸内晴美なんだってさ、バカサイ読者かと思ったけど純粋に好きみたいです。私も彼女のようにすらすらとフランス語の本を読めるようになりたいものですよ。
んでもって帰宅は深夜一時。こんなに遅く帰ったのは初めて、安全な所に引っ越せて本当によかったなあ。歩いて帰れるって素晴らしいことです。



11月7日(火)
今日は「空港お出迎え」バイトとは別の「まあ主に短期アパートを貸す会社」のHP作成バイトに行って来ました。ここでも、「空港お出迎え」バイトは辞めておいた方がよい、と強く強く薦められました。フランスに20年近く住んでいる人が言うんだからやっぱり相当ハードな仕事なんだろうなあ。そのバイトについていろいろ吹き込まれてしまい本当に怖くなってきました。体力と気力をもの凄く消耗する仕事で、んでもって、時給はHP作成バイトの3分の1程度。やっぱ毎週のように広告を出しているってことは、それだけ人が定着しにくいってことなんですよねえ。なのに、手持ちのコマはできるだけ持っていたいと思っている欲張りな自分がいる。「辞める」と言うのは最後の最後で十分、と思っている自分がいる。。。不景気な学生時代を送っていたせいで、妙な「職業内定ため込みグセ」が付いてしまったみたいなんです。欲張りは格好悪いよねえ、体は一つしかないのにねえ。困った困った。そういえば労働許可証が未だに届かないのはいったい何故なのでしょう?書類に不備があったのかなあ。変なの。


11月6日(月)
一週間ぶりの学校。旅行中はずっと日本語だったし、週末はネット漬けだったし、ということで著しく後退してしまった私のフランス語能力。先生の話が早くてついていけないよう・・・これは非常に困ったことです。こんなにも簡単に人の能力って退化しちゃうものなんですかねえ、急激な訓練で身につけた能力は急激に衰えていくというのは本当のようです。涙がキラリ☆と光るくらい悲しいことです。もうあまりにも悲しくって悲しくて、おもいっきりネットに逃避してしまう今日この頃。
それにしても毎日新聞はどうして遺跡掘り返して土器埋めてる映像をネット配信してくれないのでしょうか。こういうトンデモ事件を詳しく知りたいが為にケーブル引いたっちゅうのに。「魔が刺した」って言ってる音声ファイルをダウンロードしたいが為にケーブル引いたっちゅうのに、どこにもそんなもん見あたりません。情報は日本と同じように入手することができても、やっぱりリアルな体験はできないんだよなあ。もどかしいなあ。



11月5日(日)
久しぶりにゆっくり寝ることができました。これからは一人ぽっちなんだなあ。生まれて初めての一人暮らし、非常に緊張しておりますよ、朝から自分でカフェオレ入れてクロワッサンとか食べちゃう訳ですよ、ゆで卵にはマヨネーズつけちゃう訳ですよ。きゃあ、俺ってパリジェンヌや〜ん、これでシマシマTシャツ着てベレー帽かぶってジーンズは何故かsomethingだったりしちゃうのよね〜と、まるで加藤紀子のようなはしゃぎっぷり。まあ最初くらいウキウキしておかねばねえ、いずれ息切れするでしょうし。
んでもって夜はWH友人のお誕生会。私を含めて全員が「空港でのお出迎え」バイトに登録しております。労働許可証を貰ってないと働けないと勝手に思いこんでいて、んな訳でアホみたいに旅行しまくっていたんですが、どうやら給料の出ない研修期間だけは、労働許可証を持っていなくても参加できるそうなんです。あらあらなんだか損した気分、暇なうちに働きたかったなあ。んでもねえ、先に研修受けている皆さんのお話を聞いていると・・・・・・ このままフェイドアウトした方がよいかもしれないってな感じのハードさ&杜撰さ。ちょっと考えてしまうなあ。確かにお金は欲しいですが・・・ うーん困った困った。ま、登録しておく分には全然構わないバイトですもの、少しずつ小出しに頑張ろうかとおもいます。ふう。
んでもって帰宅。したはよいのですが、なんだか知りませんが別の友人がくっついてきました。家が決まらないからしばらく置いてくれ、と言うのです。んまあ家は広いし、一人も淋しいし、可哀想だし、ってなことで、しょうがないかな。ということで今日からしばらく二人で暮らすことになりました。一人暮らしは当分お預けのようです。



11月4日(土)ブルージュ
引っ越したばかりだというのに、そして昨日はケーブル回線で浮かれて4時就寝だというのにブルージュに行って来ました。こっちの日系旅行会社のキャンペーンので100フラン払うだけでベルギーに行けてしまうのです。いやぁ、素晴らしい世の中になりましたなあ。
ブルージュは「屋根のない美術館」と呼ばれているベルギーの一地方都市であります。階段のような直角にジグザグな屋根が特徴的なブルージュの建物は、なんだかレゴで作ったおもちゃの家のよう。運河に囲まれた街全体は小さくコンパクトにまとまっておりテーマパークを訪れたような錯覚に陥ります。なぜだか分かりませんがストラスブールを思い出しました。街の中に水が流れているからかな? 町の中心であるグラン・プラスの眺めはブリュッセルのグラン・プラスの荘厳な雰囲気とはひと味違って可愛くてちょこっと豪華。同じ雰囲気の街が二つとしてないところがヨーロッパのいいところでありましょうか。
7時30分集合で11時30分現地到着というスケジュールの我々、大きな小腹はペコペコであります。やっぱりベルギーといえばムール貝にビールでしょう、つうことで、グラン・プラスにあるレストランでムール貝と地ビールを頼んで至福のランチ。この時期はムールに限りますねえ。黙々と食べたあとはボートに乗って運河を一周。ボートはゆったりと各名所をぐるぐると回ります。大聖堂や裁判所、ブルージュゆかりの建物の下を運河は静かに移動します。だがしかし、そのゆったりが悪かった、小さい街なので一日で廻れると思ったのが悪かった。運河を降りたらすでに集合時刻30分前!メムリンク美術館も市立美術館もまだまだ行けてないのに、、、なのに帰らなくてはならないとは、、、悲しみを堪えながら涙を堪えながらも地ビール買い込んで地チョコ買い込んで地元レコ屋に寄って(収穫はなし)、ベルギー国の内需拡大に貢献してみました。もう少し時間があったらなあ・・・
んでもまあ100フランでこれだけ楽しめたのですから、よしとしましょう。本当に楽しく愉快な旅行でありました。今度は美術館に行きたいものです。I shall return.ってな気分です。え、フランス語で書けって?・・・すいません。



11月3日(金)別れ そして 新居!
今日から新居であります。早朝にCATVの工事を済ませ、その後契約書の作成、敷金2ヶ月分の小切手と今月分の家賃を現金でマダムに渡し、これで晴れて一年間この部屋は私のものになるわけであります、長かったよう。9月中旬にこの地に降り立った時には、こんな長く流浪の生活をするなんてこれっぽっちも考えませんでした。こっちに来るまで気づきませんでしたが私の先祖は農耕民族だったようです。定住する場所が見つからないと不安で不安でしょうがなくなるようなんです。こっちに来るまで軒下で寝るのも構わないって思っていたんだけどなあ。家探しとは自分探しでもあるわけですねえ。ふう。
んでもってマダムが日本にお帰りになります。この方とのラッキーな出会いがなければ、私は今頃もっと荒んだ愚痴ばかりの日記を書くことになっていたかもしれませんし(今でも十分愚痴に満ちあふれてますが)、大事なオーディナトゥール(コンピュータ)を誰かに売り渡していたかもしれません。フランスで生活することについての様々な知識と知恵、そして素晴らしい方々を紹介してくださいました。お帰りになるのは淋しいけれど、私はがんばってあなたのお宅を守ります。本当に本当にありがとう、さようならマダムーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。 ただちょっとくらいは掃除してほしかったな。腐ったじゃがいもやタマネギの処理が新居第一日目の初仕事とはねえ。
んでもってネットつなぎ放題になったので、早速いろいろな場所に飛んでいって見ることに。電話代気にしないって良いことだけど危なくもありますねえ、歯止めが効かないからねえ。とにかく画像沢山あったり、重かったりするサイトもさくさく進むのでありがたいことこの上なし。初日からいろいろな方々と知り合うことができました。いろいろな方にフランスで生活するための情報やサイトなどを教わることができて本当に幸せ。なかでもカジミールのサイトを知ることができたのが一番の収穫でしょうか。こっちのポンキッキもたいな番組なんだけど、このページがもうカワイイったらありゃしない。メトロのチュイルリー駅の壁におおきな得体の知れない怪物の写真が飾ってあったのですが、その得体の知れない怪物君こそ彼なわけです。愛らしくてしょうがない。早く言葉を覚えて彼の全てを把握したい気分です。



11月2日(木)モナコ
ホテルをチェックアウトしてからモナコへ。ぶらり各駅停車の旅と称して海外旅行とはいいご身分だ、しかもモナコ。モナコ国民は税金を払わなくていいそうだよ、カジノにみんな勝手に寄ってきて勝手にお金を落としていくから、税金なんて考えたくっていいみたいだよ。ギャンブルが国の主要な収入源だというのにこの優雅さ。日ノ出町の場外馬券売り場も大賑わいなのになあ、ぜんぜん違うんだよねえ。
きっつい坂をのぼって王宮へ。王様が住んでいるとは思えない質素なお城に質素な閲兵。交代式もイギリスと比べてとってもシンプル。商店街も王様が近所に住んでいるとは思えないほど簡素であります。観光地ゆえに物価は高いですが静かで清潔な街、じゃなかった国。一回はカジノに行ってみたいものです、それなりの服装ができるようになったら・・・カジノの建物の周りをぐるぐる回りながら誓いました。
つーことで、この国は貧乏人には用のない街だった。カジノ行かなかったら殆ど観光スポットないやん。しょうがないのでモナコ水族館に行ってみましたが、海遊館のはるか下をいくヘボヘボ施設っぷりに驚愕。見たことない魚も多くてタメにはなるんですが、イルカもオットセイもクラゲもいないなんだか足りない水族館。やっぱ海遊館って入場料は高いもののすごい施設だったんだなあ。
そんでもって、ニースに戻ってパリまで飛行機。明日からの新居に泊めていただき旅の疲れを癒します。ふう、落ち着かないなあ。



11月1日(水)カンヌ ニース
カンヌっす。カンヌは村おこしにに映画まつりを企画してそれが大成功。5月だけ賑わうゆったりした港町、なんとなく葉山に似ているような気がします。今日は休日(お墓参りの日)でめちゃめちゃいい天気。鄙びたカンヌも今日は人がいっぱいです。カンヌ映画祭が開かれるパレ・デ・フェスティヴァル・エ・デ・コングレの周りには偽物のドナルドやミッキーがいて観光客と写真を撮っていますねえ、大丈夫なんでしょうか?MIBに狙われないことを祈ります。会場の周りにはスター達の手形が焼いてあるタイルが敷き詰められていております。シャロン・ストーンって手がおっきんだなあ、この階段をエリコナカムラは顰蹙買いながら歩いたんだなあ、思ったよりぼろい建物だなあ、などいろいろなことを考えながらビョークのメガネおばさん姿を想像します。ここがカンヌなのですね。しみじみ。その後シュバリエ山という小高い丘に登って高台からカンヌを見下ろします。天気がいいと本当に海はキレイですねえ。海と山と空だけあればいいんだなあ。
しかしカンヌは映画まつりの会場しかないもんで、午後はニースに戻ることに。ニースでも高台に上ってじっくりと海を見ること半日。やっぱり海は飽きないねえ。潮風に頭をやられてアホになりながらニース風サラダとコート・ド・プロヴァンスとかいう南仏ワインを飲んでへろへろしながら一日を終えました。やっぱ海はいいねえ。


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